亀岡の歴史

亀岡の歴史
保津川

亀岡地図
亀岡市(GoogleMap

京都府亀岡市は、亀岡盆地及び周辺山地を中心に位置しています。
亀岡盆地のほぼ中央を大堰川・保津川(桂川)が流れます。

亀岡盆地は古くは大きな湖だったことが地層によって明らかになっています。
そして湖には美しい丹色(にいろ)の波が立ったところから、このあたりを丹のうみ・丹波と呼ぶようになったとされております。

桂川上流を大堰川と呼ぶ名称は、渡来人である秦氏がつくった農業用の「堰(せき)」に由来します。
徒然草(第五十一段)では「大井川」となっており、大井町にある大井神社に由来します。
馬路・千歳・河原林・旭の各町がある大堰川(保津川)左岸は総称して川東と呼ばれ、愛宕山系の扇状地であり、同山系を水源とする七谷川や三俣川は高低差が激しく、よく氾濫したと伝えられております。

また亀岡は、古くから京・大坂と山陰を結ぶ交通の要所になっており、足利尊氏の挙兵の地となった篠村八幡宮(しのむらはちまんぐう)があるなど鎌倉・南北朝時代を通じて源氏の一拠点となりました。

安土桃山時代に入って明智光秀が丹波亀山城を築城し、城下町を形成したことによって、近代的な発展を遂げました。

明智光秀とは

明治2年(1869年)、三重県亀山市と混同するため、亀山から亀岡へと改称され、明治4年(1871年)、廃藩置県で亀岡県となり、同年に京都府所属となりました。

霧の都 亀岡

霧の都 亀岡

亀岡は晩秋から早春にかけて亀岡盆地名物の深い霧が発生しており、この季節に京都市内から保津峡や老ノ坂峠を経て亀岡へ入ると景色が一変します。
霧の規模は全国的に有名で、正午過ぎまで晴れないことも多いのです。

亀岡の肥沃な土壌

亀岡の肥沃な土壌

亀岡を流れる桂川はたびたび氾濫を繰り返し、4世紀ごろまで亀岡盆地のほとんどが湖もしくは湿地帯であったとされています。
亀岡市街地は保津川(大堰川)より低地であるうえに、保津峡でせき止められることにより逆流を原因とする水害が多発しておりました。
しかし、亀岡の深い霧と水をたっぷり含んだ肥沃な土壌が畑に適しており野菜等の作物の品質をより良くしました。
江戸時代、亀岡は明智光秀の城下町であった亀山を除いて、ほぼ全域にわたり農村でした。
米を中心とした五穀の栽培が大半を占めていましたが、煙草、綿、小豆、ごぼう等の栽培も行われており、それらの特産品の多くが上質でした。
水稲栽培が盛んであったことから酒造業も行われました。

亀岡の自社農園

亀岡の自社農園

亀岡の深い霧と肥沃な土壌が畑に適しており野菜の品質をより良くします。
もりの自社農園もこの恩恵に与り、品質の良い野菜を生産しております。
その野菜を丹精込めて漬込み、皆様に喜んで頂けるお漬物を作り続けております。

亀岡漬処のご紹介

亀岡漬処

亀岡 ふるさと納税

亀岡の自社農園

亀岡の自社農園

亀岡の自社農園

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